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Cocco の「セレストブルー」
先週の月曜日 NEWS23のマンデープラスで特集されていた。
そのなかでCoccoが歌っていた曲。この歌がこうして生まれた出会いや命の声が、そこにはあったように思います。
体と心の認識する性の違い。私にはありません。自分が女であることに疑問をもたず、女らしさという枠のようなものに違和感や反発を覚えることはあっても、女性としての喜びを体中に感じる幸福が日常に溢れているのも確かです。
私の場合、その喜びが女性としてだけでなく、人間として産まれ生きていることにも通じています。するとその性があやふやだと人間として生きていることも、どうしようもなく揺らいでしまうのかなと、ただそう思ったのです。解ったんじゃありません。
性のそれではなくてもわたしに産まれてきたこと、生きてくこと、いつか必ず迎える死が頭の隅っこにはあって。それでも眠って起きて、勉強したり働いたり、恋をして夢中で遊んで、お腹減らして食べて…ちゃんと繰り返してる生活がある。でもやっぱり行き着いてしまう疑問や悩みや恐怖に壊れてしまいそうな夜はやってくる。
みんなが幸福そうで羨ましく自分が独りぼっちに思えてしまうのなら、なにかで取り戻そうとしている自分に気づくのも救いになったりする。
泣き疲れて眠りに落ちたり、とにかく食べようとしたり、飲んで忘れようとしたり、人によって様々だけど。
すべてを許してあげたい、どうしようもない自分にもやさしくなりたい心が手を伸ばしている。そのやさしいサインを笑えたらいいね。
Coccoの歌声はかわらなくて、痛いくらいの強さとなぐさめを歌にのせて。
細い身体からふわりと舞い上がって、宙を包むやさしい歌声はとびきりあったかい羽のよう。
絵本 南の島の恋の歌/Cocco