水しぶきみたいに拡がれ
いつだってそう。書きたいことは文字にすると、稚拙で浅くてがっかりする。
言いたいことは言葉にしようとすると、言ったそばからかけ離れていく。
この日記をはじめてからも、いやはじめたら余計に目に付く。
まだ冷たい今年の春に、右手が使えなくなるかもしれないと真剣に思った。
事情は以前にすこしふれたけど、音のない恐怖だった。影もなく、あたしの体内にそっとしておいた種が厄介に芽吹いてくれたものだと、ベッドに横たわって窓の外の光を見つめた。
右手のことがキッカケになって、必ず治る安心が灯った頃日記を書き出すようになる。
方向性や目的なんて決めてはいなくて。
手帳には随分前から日記をつけているし、それは大事なもの。
だけど、身体のことは書きたくなかった。予定を実行出来なかったモノには線だけ引いて、理由は書き込まないでいた。不自然にではなく。
それでも手帳をひらけば何があったかと体調もセットにして、あたしの頭は忘れていなかった。波のようにうねる日々の一つ一つを全部記録しておく必要はない。
ここでだったらそれもいいかと思った。不意に目にしてしまう人には快いものではないとしても、そこまで頭でっかちになっていたらキリがない。
いつでも削除可能、全身で悶々するよりはいい、何にもならなくても どうにかなってくれてもいい。
日曜の夕方だから、ちょっとそんな風に考えたりした。